花一輪を、


( 寝る前のメモより )

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7月27日(金)
夕飯後に家族でおばあちゃんに会いに行った。息を吸う仕草と音、いつまでも聞き慣れないかもしれない機械音がひとつの部屋に満ちてた。視点が定まらないような、誰かを探しているように感じた瞳がすこしだけ、何度も開いた。泊り込む母を残して帰宅。
7月28日(土)
母からの着信で目が覚めた。2度目の通話で危篤状態を伝わり、やってきた母方の祖母と家を片付けていたときに鳴った受話器から”亡くなった”と聞こえた。ことばだけをまず取り入れた。それから2時間後に、おばあちゃんのからだが家に着いた。おばさん(父のお姉さん)たちとおじさんたちと夜まで、眠っているような顔の亡骸と過ごした。
深夜、明かりが点いたままの和室の前を風呂あがりに通り過ぎた。すこしこわい気持ちで眠る。
7月29日(日)
午前中に納棺、夜に式場で通夜。喪主である父の、なかなかうまく言葉にできない挨拶。導師である母方の祖父の心の中を広げるようなお話。たくさんのひとの言葉が繋がって繋がって繋がっていく、途中にずっといる。少しずつ緊張がほぐれて、相手の顔を見てゆっくりおじぎをした。
7月30日(月)
葬儀中、鼻をすすりながら耐える父の背中を見て、棺に手をかけて声をあげて泣くおばさんを見て、歯を食いしばって花を手向けた。
火葬場に向かうバスの車窓から、山を登っていく途中、どこかの池を赤い鯉が一匹泳いでた。火葬場は後から来たこどもたちの音がいっぱいだった。その子たちが、火葬が終わったおばあちゃんの骨を見に来て「おじいちゃんが亡くなった」と言ってた。みんなきれいな目だと思った。
家に帰って少しだけお布施の整理をした後、夜は精進明けで、おじさんたちから勧められてコップ何杯かビールを飲んで、楽しくぼんやりしながら話をした。

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今日は、おばさんたちと昼食・お布施の整理。いただいたお花を花瓶に挿してみたりした。気付いたことをやってみた。感じたものがたくさんあった。目に見えるもの、見えないものをまたもらった。父方の祖父の命日でもある今日、おばあちゃんはおじいちゃんに会えたのかなと想う。